ハーバート・ローリンソン

イングランド人の映画俳優、ハーバート・ローリンソン。

何と生涯に400作もの映画に出演したという。

舞台俳優としてキャリアを積んだローリンソンは、満26歳を迎える1911年(明治44年)、映画界に進出、アメリカ合衆国のセリグ・ポリスコープ・カンパニーが製作した短篇映画 The Cowboy and the Shrew に出演、同年4月10日に公開されたのが、もっとも古い映画への出演記録である。同社が量産する短篇映画に100作近く主演する。1913年(大正2年)末をもってセリグを離れ、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍、同社傘下のバイソン・スタジオ、レックス・スタジオ等が量産する短篇映画に多く主演する。1915年(大正4年)には日本でも公開されたシリアル『黒い箱』に主演する。かつて共演者であったウィリアム・ウォーシントンが監督に回り、同年からウォーシントン監督、ローリンソン主演の短篇映画が量産される。

プラトーンの撮影

プラトーンの撮影はフィリピンのルソン島で行われている。

映画に参加する全ての俳優は撮影開始2週間前からフィリピンに滞在し当時の生活を実践した。髪型と食料は軍人仕様と同一のもの(GIカットにレーション)とさせられ、シャワーを浴びることさえ許可されなかった。また、ジャングルで夜を明かす際もローテーションで監視まで行う徹底振りであった。指導には、元アメリカ海兵隊大尉であり本作でハリス大尉役を演じているデイル・ダイが係わっている。

映画で使用された煙草は、オリバー・ストーンがリアリティに拘った結果、当時製造されていた桜色のパッケージを施したマールボロを再現した。

映画に参加した俳優の中には、着用しているヘルメットに自らメッセージを書き加えたものもいるそうだ。

未知との遭遇特別編

’77年の公開後、スピルバーグは初公開版で映像化しきれなかったシーンを盛り込むリニューアルをコロムビア映画側に申し出た。
「マザーシップ内を見せること」を条件に追加撮影の予算が計上され、実写/視覚効果の追加撮影と再編集、台詞の再録音を経て’80年に発表された「特別編」は実質「ディレクターズ・カット」であるが、スピルバーグ自身には初めからマザーシップ内部は見せたくないという意向(特別編公開以降の発言)は損なわれた。

マザーシップが星空に消えてゆくエンド・クレジット(後にILMの視覚効果監督となるデニス・ミューレンが撮影)の後半部分に、スピルバーグはディズニーアニメ『ピノキオ』(ロイが家族と観に行きたかった映画)の主題歌「星に願いを」を流すことを考えていたが、試写の批評が芳しくなくカットされた。これが「特別編」で復活された。旋律だけでなく歌も流そうとスピルバーグは考えたが、リアリティを損なうと他のスタッフから反対された。

フェリーニの来歴

高校卒業後、新聞社に勤務し、古都フィレンツェや首都ローマで挿絵や雑文を書いていた。その後、ラジオドラマの原稿執筆などを経てロベルト・ロッセリーニ監督の映画『無防備都市』のシナリオに協力。同作品はイタリア・ネオリアリスモ映画を世界に知らしめた記念碑的作品である。

『寄席の脚光』(1950年)でアルベルト・ラットゥアーダとの共同監督にて監督デビュー。1952年の『白い酋長』で単独監督。この作品で音楽監督として起用されたニーノ・ロータは、『オーケストラリハーサル』に至るまでのすべてのフェリーニ作品で音楽を手がけることになる。三作目となる『青春群像』(1953年)では故郷の街とそこで生きているどうしようもない青年達の姿を描いてヒットを飛ばし、ネオリアリスモの若き後継者として注目された。ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。続く『道』(1954年)では甘美なテーマ曲と物語の叙情性とヒューマニズムから世界的なヒット作となり、フェリーニの国際的な名声が確立する。 道は、特に傑作だと思う。

どっちなのか

映画産業は、アメリカでは「不況に強い」産業となっている。また、ビデオやDVDの普及、ファイル共有ソフトの隆盛が「映画産業を破滅に追い込む」といった考えは「誤った思い込み」であり、現実では観客動員数は減るどころか、逆に増えているという。

こうした観客動員数の増加については、「大画面で見た方が楽しめる大作を作ることによって、観客の足を映画館へ運ばせている」との指摘がある。しかしながら、移民の増加によって人口が増え続けているアメリカで観客動員数が増えているからと言って、それが直ちに映画産業の好調を示すものではないことに留意する必要がある。

映画産業も他の産業同様、全体として需給のバランスが崩れ始めれば衰退が始まる。需給バランスの客観的な指標としては、観客動員数や総興行収入や全国のスクリーン数ではなく、国民一人当たりの年間映画館利用回数を用いるべきだという指摘もある。

どちらかの見方によって、指標も当然変わってくるものだ。

最も~

映画の中で、最も赤字を多く出したのは、「カットスロート・アイランド」だそうだ。

1995年公開のジーナ・デイビス主演、彼女の夫レニー・ハーリンが監督した「カットスロート・アイランド」は制作・宣伝・配給に1億ドル以上を投資したが、1996年5月になっても1100万ドルしか回収できなかった。

また、娯楽目的で観る映画としての最長時間は、「ショア」で9時間位ある様だ。

9時間をもし映画館で観るとなると、大変な重労働になる。