「獣人雪男」撮影時の工夫

雪男の造形に当たっては、各種猿人の資料で裏付けをとって、リアルさを追求し、円谷監督は「単なる怖がらせのためのものではないと自信を持って言えるものだ」と自負している。

雪男のぬいぐるみの造形は、当初大橋史典が中心となって行われ、巨大さを表現するために、足元を高下駄式にしていたが、危険なため取り止めとなった。顔面も数回作り直されたが、約半年を費やした末に、最終的に造形チーフの利光貞三によって制作された顔面が採用された。胴体も八木寛寿、八木康栄によって子供の雪男ともども作り直された。

大橋の雪男は、牙をむき出した凶暴そうな顔つきが特徴で、利光の雪男は、口元の下がった穏やかな顔つきをしている。全身の体毛は、ヤギの毛を植え付けたもの。顔面はスーツアクターを担当した相良三四郎のライフ・マスクが石膏で型取りされ、演技者の表情に連動して動くよう工夫がされた。

ハーバート・ローリンソン

イングランド人の映画俳優、ハーバート・ローリンソン。

何と生涯に400作もの映画に出演したという。

舞台俳優としてキャリアを積んだローリンソンは、満26歳を迎える1911年(明治44年)、映画界に進出、アメリカ合衆国のセリグ・ポリスコープ・カンパニーが製作した短篇映画 The Cowboy and the Shrew に出演、同年4月10日に公開されたのが、もっとも古い映画への出演記録である。同社が量産する短篇映画に100作近く主演する。1913年(大正2年)末をもってセリグを離れ、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍、同社傘下のバイソン・スタジオ、レックス・スタジオ等が量産する短篇映画に多く主演する。1915年(大正4年)には日本でも公開されたシリアル『黒い箱』に主演する。かつて共演者であったウィリアム・ウォーシントンが監督に回り、同年からウォーシントン監督、ローリンソン主演の短篇映画が量産される。

プラトーンの撮影

プラトーンの撮影はフィリピンのルソン島で行われている。

映画に参加する全ての俳優は撮影開始2週間前からフィリピンに滞在し当時の生活を実践した。髪型と食料は軍人仕様と同一のもの(GIカットにレーション)とさせられ、シャワーを浴びることさえ許可されなかった。また、ジャングルで夜を明かす際もローテーションで監視まで行う徹底振りであった。指導には、元アメリカ海兵隊大尉であり本作でハリス大尉役を演じているデイル・ダイが係わっている。

映画で使用された煙草は、オリバー・ストーンがリアリティに拘った結果、当時製造されていた桜色のパッケージを施したマールボロを再現した。

映画に参加した俳優の中には、着用しているヘルメットに自らメッセージを書き加えたものもいるそうだ。

未知との遭遇特別編

’77年の公開後、スピルバーグは初公開版で映像化しきれなかったシーンを盛り込むリニューアルをコロムビア映画側に申し出た。
「マザーシップ内を見せること」を条件に追加撮影の予算が計上され、実写/視覚効果の追加撮影と再編集、台詞の再録音を経て’80年に発表された「特別編」は実質「ディレクターズ・カット」であるが、スピルバーグ自身には初めからマザーシップ内部は見せたくないという意向(特別編公開以降の発言)は損なわれた。

マザーシップが星空に消えてゆくエンド・クレジット(後にILMの視覚効果監督となるデニス・ミューレンが撮影)の後半部分に、スピルバーグはディズニーアニメ『ピノキオ』(ロイが家族と観に行きたかった映画)の主題歌「星に願いを」を流すことを考えていたが、試写の批評が芳しくなくカットされた。これが「特別編」で復活された。旋律だけでなく歌も流そうとスピルバーグは考えたが、リアリティを損なうと他のスタッフから反対された。

フェリーニの来歴

高校卒業後、新聞社に勤務し、古都フィレンツェや首都ローマで挿絵や雑文を書いていた。その後、ラジオドラマの原稿執筆などを経てロベルト・ロッセリーニ監督の映画『無防備都市』のシナリオに協力。同作品はイタリア・ネオリアリスモ映画を世界に知らしめた記念碑的作品である。

『寄席の脚光』(1950年)でアルベルト・ラットゥアーダとの共同監督にて監督デビュー。1952年の『白い酋長』で単独監督。この作品で音楽監督として起用されたニーノ・ロータは、『オーケストラリハーサル』に至るまでのすべてのフェリーニ作品で音楽を手がけることになる。三作目となる『青春群像』(1953年)では故郷の街とそこで生きているどうしようもない青年達の姿を描いてヒットを飛ばし、ネオリアリスモの若き後継者として注目された。ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。続く『道』(1954年)では甘美なテーマ曲と物語の叙情性とヒューマニズムから世界的なヒット作となり、フェリーニの国際的な名声が確立する。 道は、特に傑作だと思う。

どっちなのか

映画産業は、アメリカでは「不況に強い」産業となっている。また、ビデオやDVDの普及、ファイル共有ソフトの隆盛が「映画産業を破滅に追い込む」といった考えは「誤った思い込み」であり、現実では観客動員数は減るどころか、逆に増えているという。

こうした観客動員数の増加については、「大画面で見た方が楽しめる大作を作ることによって、観客の足を映画館へ運ばせている」との指摘がある。しかしながら、移民の増加によって人口が増え続けているアメリカで観客動員数が増えているからと言って、それが直ちに映画産業の好調を示すものではないことに留意する必要がある。

映画産業も他の産業同様、全体として需給のバランスが崩れ始めれば衰退が始まる。需給バランスの客観的な指標としては、観客動員数や総興行収入や全国のスクリーン数ではなく、国民一人当たりの年間映画館利用回数を用いるべきだという指摘もある。

どちらかの見方によって、指標も当然変わってくるものだ。

最も~

映画の中で、最も赤字を多く出したのは、「カットスロート・アイランド」だそうだ。

1995年公開のジーナ・デイビス主演、彼女の夫レニー・ハーリンが監督した「カットスロート・アイランド」は制作・宣伝・配給に1億ドル以上を投資したが、1996年5月になっても1100万ドルしか回収できなかった。

また、娯楽目的で観る映画としての最長時間は、「ショア」で9時間位ある様だ。

9時間をもし映画館で観るとなると、大変な重労働になる。                 

最古の物語

日本最古の物語と言われているのは、竹取物語だ。

原本の漢文は現存せず、写本は室町時代初期の後光厳天皇の筆と伝えられる「竹取物語断簡」が最古といわれ、完本では安土桃山時代の天正20年(1592年)の奥付を有する「武藤本」が最古といわれる。しかし、10世紀の『大和物語』、『うつほ物語』や11世紀の『栄花物語』、『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られ、また『源氏物語』「絵合」巻に「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」とあることから、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。通説は、平安時代前期の貞観年間 – 延喜年間、特に890年代後半に書かれたとする。元々、口承説話として伝えられたものが『後漢書』や『白氏文集』など漢籍の影響を受けて一旦は漢文の形で完成されたが、後に平仮名の崩し字に書き改められたと考えられている。

またこの説話に関連あるものとして『丹後国風土記』、『万葉集』巻十六、『今昔物語集』などの文献、謡曲『羽衣』、昔話『天人女房』、『絵姿女房』、『竹伐爺』、『鳥呑み爺』などが挙げられる。当時の竹取説話群を元にとある人物が創作したものと考えられる。

ツィゴイネルワイゼン

不気味さと美しさ。この二つは表裏一体のものなのか。

ジプシーの如く各地をさすらう中砂(原田芳雄)は、旅の途中で親友であり士官学校独逸語教授の青地(藤田敏八)と共に不思議な妖艶さを放つ芸者小稲(大谷直子)と出会う。その後、中砂は名家の娘である園(大谷直子:二役)と結婚するが、彼が持ち込んだ悪性のスペイン風邪に園は倒れ、幼い一人娘を残して死んでしまう。中砂は何と小稲と再婚する。やがて、青地は妻の周子(大楠道代)が中砂と密会していたという疑念を抱くが、確信を得られないまま中砂はシンナー中毒で死んでしまう。小稲は死んだ中砂の物をすべて自分の周りに収めておきたいとの理由から、サラサーテ自身の声が入った「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを借りていないかと青地を訪ねる。レコードを見つけた青地は中砂邸に赴くが、そこで彼が見たものとは……。

クレイマー、クレイマー

仕事熱心の会社員テッド・クレイマーは、家事と育児を妻のジョアンナ・クレイマーにすべて押しつけていた。ジョアンナは何か自分が打ち込める仕事をしたいと夫に相談を持ちかけるが、それに対してテッドは、夫が順調にキャリアを重ねて収入が増え、家族の生活にまったく不自由がないのに、何が不満かと言ってとりあわない。

やがて、ジョアンナはテッドに別れを告げてきた。はじめは冗談だと思っていたテッドだったが、翌日会社から自宅に電話をかけても誰も出ないことから初めてことの重大さに気づく。テッドの生活はその日から一変した。

テッドは5歳の息子ビリーと戸惑いながらも父子二人きりの生活を始める。息子の分まで朝食を作り、学校まで送った後、自らは急いでタクシーで会社へ向かう。順調に進んでいた会社の仕事も家まで持ち帰る羽目になり、かまってもらえない寂しさからビリーはその仕事を邪魔するかのように振舞う。そんな二人はまるで噛み合わず、とても父子とは思えないような有様であったが、次第に協力して一緒に生活することを自覚するようになり、時間とともに二人の絆は深まっていった。

しかし会社を解雇され、ジョアンナが引き取る事になる日、ビリーの事を本当に思って自らは身を引く。